2021年07月30日

郷土の偉人A 久米通賢

こんにちは。
郷土の偉人シリーズ第二弾は、久米通賢(くめつうけん)です!

皆さま、ご存じでしょうか?
久米通賢氏は江戸時代後期の学者・発明家です。
この人は前回紹介した山田兼松さんの記事でも書いた、塩田に所縁の深い人です。
久米通賢氏が40代の頃、高松藩主に才能を見込まれ、塩田開発事業に取り組むことになります。坂出の東大浜と西大浜に塩田を作りました。
この塩田開発事業、高松藩が財政難だった為に、再建することを目的に始められました。が、何せ財政難ですので、事業の途中で工事資金が足りなくなってしまったんですね…
しかし、久米氏が資材を投げ打ち、工事を継続、完成させたのです。
並々ならぬ情熱だ…!
この塩田のおかげで、塩生産量は日本国全体の約半分を占め、高松藩を潤わせ、財政難から見事に脱却したのです。
高松藩主が建てた久米通賢氏を称える石碑が、坂出に現在も残っています。

また、久米氏はあの伊能忠敬よりも早く測量を行ったことが記録に残っています。これも高松藩の事業で、久米氏が20代の頃でした。
そもそも久米氏は天文学と測量学を修めた人なので、この事業は専門分野だった訳です。オリジナルの測量器などを用いて測量し、天体観測を行いつつ、地図を完成させました。
この時作成された地図は、讃岐国最古の地図として残っているそうです。ちょっと見てみたい!
伊能忠敬が測量で讃岐国を訪れたのがこの2年後で、この測量にも久米氏は参加しています。

他にも久米氏は、武器の改良に携わったり開発したりとまぁ、多才な実績と功績を残されています。
坂出市には銅像があり、毎年「さかいで塩まつり」という久米氏と塩業を称えるお祭りも行われています。
久米氏の生家は「四国村」に移築、展示されております。
一度訪れたことがあるのですが、なかなか広い間取りでしたよ。200年以上前であの間取りと面積だと、そこそこ裕福なお家だったんではないでしょうか?(明治大正頃に改築された可能性あり)

「塩田の父」「讃岐のエジソン」と称される久米通賢氏。
功績の割りに知名度が低いので、もっと知られると良いなぁと思いつつ投稿します。
興味を持たれた方は是非調べてみてはいかがでしょうか。面白い人ですよ(^〇^)


一宮支店 U
posted by 正木浩二 at 15:39| Comment(0) | 豆知識
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