こんにちは。
6年近く前から使っているiPhone6sがいい加減寿命を迎えそうです。
メールチェックしただけで、バッテリーが10%程も減るようになってしまいました。
あぁ…
さてみなさん、児玉源太郎という偉人をご存じでしょうか。
明治期に活躍した陸軍軍人で、たいへん頭の切れる人物でした。
特に司馬遼太郎氏の著書等の影響で、日露戦争時の活躍がよく知られていると思います。旅順要塞を攻めあぐねる乃木第三軍に二八サンチ砲(大砲)を送ることを決めて、二〇三高地陥落に貢献しました。
しかし、児玉元帥の最大の功労は、戦争を見越して海底ケーブルを敷いたことである、と私は思います。
古代から現代まで、戦争において必須で重要なのは「情報」です。
敵味方の戦力や状況が分からなければ作戦の立てようがありません。どんなに強力な武器や装備を持っていても、場合によっては全く活かせず無意味なものになってしまう訳です。
児玉元帥は西南戦争の時の経験から、情報の確保の重要性を強く感じていたのです。
当時、日本も長崎〜上海、長崎〜ウラジオストク、呼子〜釜山の間にそれぞれ海底ケーブルが通っていました。このケーブルを管理し運営する会社は、大北電信会社といい、社名は日本名ですが実態は北欧の会社でした。
児玉元帥は日清戦争後、外国企業(特にロシアに近い)が管理・運営するケーブルを利用していては有事の際に通信を傍受されたり、ケーブル事態を切断され情報が遮断されるなど、不利になるのではないかと考えた訳です。不利になるならまだしも、戦争に負けるような事になれば国が国でなくなってしまうかもしれないのです。
よって、完全に日本国企業による日本国産のケーブルを敷設する必要があり、壮大な事業を開始しました。
まずはケーブルを敷くための船をイギリスに発注するところから始めました。
欧米諸国からは「日本にケーブルを引く技術などある訳がない」と馬鹿にされていましたが、やってのけちゃったんですねぇ〜。
明治30年には九州・那覇・石垣島・台湾ルートに海底ケーブルを敷設完了しました。
しかも、国外への情報漏洩を防ぐ為に、お雇い外国人を起用せず、工員は日本人のみ。
完全純国産海底ケーブルという訳です。
この当時、欧米諸国でも長距離の海底ケーブルを敷設するのは難しい事でした。
それを、初めて着手し、技術面でも欧米には及ばないと思っていた日本が、日本人の力のみで完成させてしまった技術力に、欧米諸国は驚き、驚異的に感じたそうです。
ざわ……ざわ……
この海底ケーブル、通称「児玉ケーブル」は、日露戦争中に大いに役立ちました。
特に有名な例は、日本海海戦時に『信濃丸』がロシアのバルチック艦隊を発見した際に打電した、「敵ノ第二艦隊見ユ」という一報でしょうか。
日本海海戦時の打電文は、児玉元帥が指揮し敷設された海底ケーブルと陸路にあるケーブルを経由して、東京の大本営に伝わりました。情報伝達の迅速さが海戦勝利の理由の一つなのです。
この辺りの話題は掘り下げると話が広がりすぎてキリがないので、割愛しますね。
興味を持たれた方は検索してみてくださいね。
明治後期に純国産の海底ケーブル敷設に成功した日本ですが、昭和初期になると無装荷ケーブルという多重通信に強いケーブルを開発します。
更に、昭和中期になると光ケーブルを利用するようになるのですが、日本はこの技術において世界一位になりました。
現代の我々がインターネットを快適に利用できるのは、通信ケーブルの分野の先人たちの努力と技術力があってこそなのですね。
特に日本がこの分野で世界一に輝いたのは、児玉源太郎が海底ケーブル敷設させたことが始まりだと言っても過言ではないでしょう。
割愛して書いたつもりが長くなってしまいました…
一宮支店 U
2021年07月05日
知って損なし!「児玉ケーブル」
posted by 正木浩二 at 11:05| Comment(0)
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